2023年「春の集い」
2023年「春の集い」を5月6日(土)に、「伝統と近代化を学ぶ甲府街歩き」と題して、甲府市中心部で開催しました。コロナ禍で活動が十分にできなくなっていたため、2019年4月以来の実に4年ぶりの春の集いとなりました。山梨県在住・出身の同志社大学・同志社女子大学のOB・OGとその家族ら19人が参加(散策のみやランチからの参加もあり)。久しぶりにランチを楽しみながら旧交を温め、新メンバー2人の参加もあって交流の輪を広げました。
JR甲府駅南口の信玄公像前に集合し、山梨県庁の近代人物館に向かいました。
山梨県近代人物館では「近代日本を駆け抜けた山梨の鉄道人たち」(3.25~9.18)を開催中で、母校の創設者・新島襄(1843~1890年)が生きた時代に思いをはせながら、山梨の鉄道人たちの足跡を振り返りました。例えば、いわゆる「甲州財閥」の一人で、現在のJR中央線である甲武鉄道の経営に関与した雨宮敬次郎(1846~1911年)は、新島襄と三つ違いだったことを考えると、同時代の人としてより身近に感じられます。
近代人物館の後は、山梨中銀金融資料館と印傳屋上原勇七の印傳博物館を、2グループ(「金融博物館→印傳博物館の順」「印傳博物館→金融資料館の順」)に分かれて訪れました。金融資料館では山梨中銀の歩みを伝える資料と、古代から現代に至るまでの日本の貨幣の歴史が学べる展示を見学。山梨中央銀行のルーツは1874(明治7)年に設立された銀行類似会社「興益社」で、1876(明治9)年に取り扱いを開始した貯蓄預金「興産金」は、わが国で初めて取り扱われた貯蓄預金だそうです。ちなみに、母校のルーツである同志社英学校を新島襄が創設したのは、両年の間に当たる1875(明治8)年です。
印傳博屋上原勇七の2階にある印傳博物館では、開催中の「印傳の燻-傳承された技を今に」(3月11日~6月18日)を見学。印伝と言えば、鹿革に漆で模様を付けた伝統工芸品として山梨県民にはおなじみですが、今回の展示では煙で燻して模様を付ける技法について説明してもらい、印伝の多彩で奥深い魅力を知ることができました。400年以上にわたって伝承されてきた「甲州印伝」。印傳博物館でいただいた資料には、1876(明治9)年の藤村式建築による旧店舗の写真が載っており、(しつこいようですが)同志社英学校が創設されたころの印傳屋さんはこんな感じだったのか、と思いをはせました。
印傳屋さんから、ランチ会場である古名屋ホテルに向かう途中で足を止めたのが、「新聞発祥之地碑」です。山梨日日新聞が1872(明治5)年7月1日に「峡中(こうちゅう)新聞」として発刊された地で、碑は創刊100周年を記念して1972(昭和47)年に建立された。山梨日日新聞は現存する地方紙としては最古の歴史を持ち、昨年7月に創刊150周年を迎えました。(本当にしつこいようですが)同志社は再来年の2025年に創立150周年を迎えます。
ランチは、古名屋ホテルのレストラン「ベンジャロン」でいただきました。1958年卒から2016年卒までの幅広い年代の参加者が、大学時代の思い出や近況などを報告し合いながら、和気あいあいとした雰囲気で交流しました。
古名屋ホテルは1912(明治45)年に、現在地で「古名屋旅館」として創業したそうです。最後まで同志社の歴史と関連付けて見てみると、専門学校令による同志社大学(予科・神学部・政治経済学部・英文科)と女学校専門学部(英文科・家政科)が開校したのがこの年で、1920(大正9)年に大学令による同志社大学(文学部・法学部・大学院・予科)が開校しました。
山梨県支部では、県内在住・出身の同志社大学・同志社女子大学の卒業生に広く参加を呼び掛けています。今後も、集いや総会の詳細が決まったらご案内いたしますので、今回は残念ながら参加できなかった方も、ふるってご参加ください。